About Days and Nights

日常,非日常の記録

書いてる理由

小説を書いている理由をどこかに残しておきたい気がした。

僕が小説を書き始めたのは20歳のころだった。気づいたらいろんなことを書いていた。黙って書いてればいい話なんだけれど、ちょっとずれてきてる気もするからここで自分に釘を刺したいというか。

"dsr-text"のdはダッシュのd、sはŚūnyatā(空)のs、rはランダムのr。

僕が小説を書く理由は、自分の一番の理解者が欲しいから。僕自身を一番知っている人が欲しいから。僕自身を愛してくれる人が欲しいから。僕をわかってくれる人が欲しいから。

だから誰かのために書いているわけじゃないとも言えるかもしれない。ただ、僕と同じように、誰かを必要としている君とだけは、ずっと一緒にいられるような人を僕は書いているつもりだ。

僕は、正直な話、自分のために泣いてくれる人がいるならそれでいい。明日からもやってくつもり。読んでくれる人が僕に、あるいは登場人物に同情してくれたらいいなとか、そういうことは思わない。ただ僕は、僕自身が小説の中に書いた人たちにだけは僕のことがわかってもらえてたら何とでもなると思っている。そしてそいつだけは、君のことをわかってるんだと思う。

そんな人を存在させるために書いている。だから僕は事件や対立は書かないし、地獄も混沌も書くつもりはない。この世界で一番優しく、美しい人を存在させたい。この世界で一番愛に満ち溢れた人たちの生きている世界を存在させたい。

きっとそいつは、君のためにも泣いてくれる。君の一番の理解者で、初めて会ったのにそんな気がしない、どういうわけか君のことを一番知っていて、君を誰よりも受け入れ、愛する、そんな人だ。どんな日でも、あなたの話を朝まで聞いて、一緒に泣いてくれる人だ。そいつは、別に僕にだけ優しい人じゃない。僕のために存在しているわけじゃない。君と僕のためだけに存在している。

そいつはきっと一生あなたのそばにいてくれると思う。あなたが急にそいつのことを嫌いになっても、恨んでも、あなたが嫌なやつになっちゃうような日があっても、誰かに嫌われる日があっても、それでもそいつだけは不器用なりにも、必ず最後まであなたを愛する、彼らがこの世界に存在している約束はただそれだけだ。

僕は自分の文章を一気に読んで欲しいとはあまり思っていない。会いたいときに会って欲しいから、少しずつ、必要な時にだけ読んで欲しい。別に物語は何も起こらない。彼らはただ僕と君のためだけに存在しているだけだ。

だから、僕自身も、たくさんの人に読まれたいとか、売れたいとか、そういう僕の願望は打ち捨てて書かなきゃならない。そうでなければ、消費しやすいものを作ろうとしてしまったら、本当に優しくて美しい人は描けないと思う。ただ必要としている人にだけはとにかく容赦なく愛をそそがなくちゃいけない。

そんな彼や彼女を本当に存在させるためにこれからも書いていく。僕にはそれができる。いくら苦しんでも話を聞いてくれる人がいるから。

久しぶり

言いたいことがあって文章を書きたかったけど、noteじゃない気がして古いアカウントにログインした。

初めて文章をネットに公開した場所もはてなブログだったのでなんだか心地いい。親友と一緒にブログをやってた場所だから、このエディタでタイピングしてるとまだここに彼女がいるような気がする。

勢い

今日起こったことについて書こう。

 

アルバイトの後、だいたい二十分かけてバス停まで歩く。今日、その道すがらに僕が見たものは、子猫と小さなトカゲ、リス、大きな犬だ。

 

子猫は黒かった。まだ生まれて間もないのであろう。彼女はきっと、バンコクの道路の惨状をまだ知らない。飲み物屋の軒先で飼い主である店主と戯れていたのだろうが、何を思い立ったのか、鈴のついた青い首輪をつけた彼女は、店主の腕から飛び出したのだ。

飛び出して、一瞬、僕と目が合って、また何かを考え、僕の横をすり抜けようとした。向かう先は、殺人自動車たちの行き交うバンコクの車道である。反射的に僕が彼女の行く手を足で阻んだその隙に、青い顔で追ってきた店主は、黒猫をつまみ上げる。

僕がひとこと「危ない」と言ったら、店主は「本当に危ない」と首を傾げながら返した。青い首輪の黒い子猫が、店のそばに置かれた木箱に放り込まれるのを見て、僕はどういうわけか寂しい気持ちになってしまったのだが、理由はわからない。

 

小さなトカゲとリスはそれぞれ、よく走って僕の前を横切り茂みに入っていった。

 

大きな犬、二匹の大きな犬らはバイク屋のお兄さんの言うことは聞くのだろう。時々バイク屋の前で半目を開けて昼寝をしている。土佐犬のような見た目の、いかにも凶暴そうな二匹だ。いないことの方が多いのだが、もちろんいつも彼らがいる可能性を頭の片隅には置いて前を通る。

今日は何となくいないような気がしていた。ところが、塀が途切れると、そこには二匹の犬が目の前に寝そべっている。彼らはすぐに目を覚まし、吠えながら僕に飛びかかって来る。もちろん、僕はすぐ彼らに背を向け走って逃げ、道路の向かいの歩道に渡った。

重い鎖を引きずりながら二匹の犬はつまらなさそうにこちらを見ていた。バイク屋のお兄さんは「大丈夫だから通れよ」という風に刺青だらけの腕を回している。僕を安心させようとしているのだろうか。まずは、あの鎖の長さを教えて欲しい。

 

バス停についた頃にはもうすっかり疲れ切っていた。そこからまた二十分待ったのだが、僕の住処の方面へ行く乗り合いバンは今日も通らなかった。二十分以上は待たないと決めているのだ。タクシーに乗った。タクシーは時速百キロで片道四車線の一番内側を飛ばし、前方にとろくさい車があればそいつが退くまでクラクションを長押しするもんだから、十分少々で帰った。運賃を支払う時に見た運転手の顔は驚くほどに穏やかで、僕の心も幾分静かになる。

 

せっかく部屋から出たのだから、コンビニ以外で昼飯を食おうと、今日はアルバイトへ行く前から決めていた。僕のアパートのある曲がり角より少し先の、昔住んでいた通りへの角でタクシーを降り、フランス人の先輩が緑のレストランと呼んでいた店へ行く。

カオパッポンカレーという、辛さは控えめなカレー粉を使ったご飯は、コンビニで売られている何かを別とすれば、数日ぶりに食べる料理である。匙のひと掬いごとに、やっぱり美味いな、と思いながら食べた。一口ごとに、何度も瞬きをしながら、首を捻る。

振り返れば、コンビニで買った出来合いのものを食う時、人がものを食わなければ死ぬということを、僕は強く感じながら顎を動かしていた。しかし、人はものを食いながら生を思うべきだろう。

 

締まりが悪くなるが、忘れるわけにはいかないので書いておこうと思う。緑のレストランからの帰り道で、日傘を差していた濃い肌の女の子とすれ違ったのだが、その時、彼女の容姿に僕はそうあるべきだと感じたのだ。

彼女は背が高く、ワインレッドに紺と白の格子柄の入った長袖のシャツを全部のボタンを閉め、腕をまくって着ており、下にはデニムのショートパンツを穿いていたと思う。雑な格好ではあったが、それより目についたのは髪型だった。

ボサボサのおかっぱだったのだが、もうはっきりと思い出すことはできない。前にも髪が突き出ていたという記憶があるが定かではない。絵で思い出そうとすると、他の女の顔が浮かんで全部駄目になってしまう。それだけだ。